40周年!「五つの赤い風船」西岡たかしさんにインタビュー!
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杉田二郎さんのインタビューの際、「自分から見て先輩といえるのは、
ムッシュかまやつさんと
西岡たかしさんのお二人くらいだろう」といったお話をうかがいました。その西岡さんの先輩にあたる方はどなたでしょうか。
西岡:わたしの場合、それまでの日本の音楽シーンにはなかった、そこいらのお兄ちゃんが勝手に歌を作り、勝手に歌ってしまうってことを始めた張本人なもので(笑)。わたし達がやっていた音楽は関西フォークとも呼ばれましたけど。その名前が生まれる前からやっていたわけで、先輩はいないです(笑)。
──ということは、曲作りのお手本は…。
西岡:海外の音楽です。当時は、日本では5弦バンジョーも売っていませんから、あっちのLP盤のジャケット写真を見たり、フレットも打たないといけないものですから、構造を研究したりして、こしらえていました。でも、わたしはデザインの仕事をしていましたから、ギターも曲作りも、アメリカのマウンテンミュージックのコピーも趣味だったんですよ。
──情報も多くない時代、楽器や楽曲をコピーできたというのは、もともと音感が鋭かったのですか。
西岡:どうでしょう…そうかもしれないですね。聴けば、おおよそのことはわかりましたからね。うちのイサトよりも先にスリーフィンガーも弾いていましたよ。
──デザインのお仕事をされながらも、音楽のプロ志向はお持ちだったのですか。
西岡:それはなかったです。クチコミで友達の友達が家にくるようになったり、その中にわたしが書いた曲を学生コンサートで歌いたいって人が現れたりしながら始まったことなので。うまく弾けないから、手伝ってもらえないかとか。時間の余裕があればいいですよと。それがいつの間にかズルズルになったわけです(笑)。だから、初期の
五つの赤い風船当時は、プロ意識じゃなかったです。アマチュアの延長。それが変わったのはソロになった頃から。
──今は、ロックミュージシャンになる子供を親が応援する時代ですが、きっと60年代は違いましたよね。
西岡:芸事は職業のうちに入らないって感覚でしたね。大工の棟梁だったうちの親父も、わたしにはデザインの仕事を続けるようにと、きつく言っていました。それが一般的だったと思いますよ。そうはいっても、犬のマークがついた僕らのシングル盤が発売になったときは、さすがにちょっと違った反応でしたけど(笑)。
──結成40周年アルバム
『五つの赤い風船と仲間たち』にも収録されている「
遠い世界に」。あの曲が広まった頃、あの曲をめぐるいくつかの意見もあったようですが。
西岡:ええ、右よりだと言われたりね(笑)。でも、実際は自問自答の歌。わたしの中に燻り続けていた、この国の印象や、安保も含めた時代性などについての自問自答というか。自分の価値観は自分が作り上げないと、大切な判断すらも他人任せになってしまうわけで。それではいけないと思っていた頃に書いた歌です。体制批判が一種のブームにもなっていた時代ではありましたが。それに調子を合わせてはいるものの、ひとりになってみたとき、この国に対するいろいろな思いがよぎったり。だから、3番の歌詞は必要かとも言われたこともありますけど、わたしにとっては絶対必要でした。
──デザインの仕事をされていたことが音楽に影響を与えましたか。
西岡:創作に対する根本的な価値観が美術系と言いますか。ポピュラー音楽の売れる曲を作るってことに価値観を見いだせなかったですね。それは今も同じです。ま、結果としてちっちゃなヒットが出たことはありましたけど。シモンズの「恋人もいないのに」(71年レコード大賞新人賞)とか。あれにしても、売れる云々よりハーモニーのユニークさを意識した曲でしたから。ほとんどの日本の音楽は展開しないでしょ。特に売れ線だと、あるひとつのパターンに固定されるじゃないですか。わたしは固定されるのが嫌いだし、次々に壊したり、新たな展開を求めたりしてきましたね。今でも覚えていますけど、あるディレクターの方に「この歌詞のここを女性の名前にすれば売れるのになあ」と嘆かれたこともありました(笑)。
──40年間に創作意欲が萎えたことはありませんか。
西岡:いまだにワクワクしながら創作しています。
『五つの赤い風船と仲間たち』もそうでした。音楽も創作も辞めて、のうのうと暮らすって手もあるますけど(笑)。ここまできたら、このために生まれてきたのかなって意識もありますし。いまだにやればやるほど面白くなっていますし。のちのち私が残したものを耳にした若い人達が、音楽にはこんな面白さもあるんだと気がつき、音楽の道に進んでくれたら、それも嬉しいことのひとつです。後世になり、西岡の初期はこうだったけど、最終的にはここにいったかみたいなね、流れを持てることも素敵かなと。
──ある意味、
『五つの赤い風船と仲間たち』も流れを表していますよね。後輩にあたるミュージシャンの方々が西岡さんから受け継いだものを西岡に返す、という流れを。
西岡:五つの赤い風船が結成40周年だからと、こうせつ君が最初に手を上げてくれたんですよ。自分に曲を書かせてくれと。その輪が広がり、レコード会社の枠を超え、いろいろな方々が楽曲提供してくれました。最初に名前の出た
杉田二郎君、あのねのね、昔一緒にアルバムを作ったこともあるイルカとか。
なぎら健壱も詞を送ってきてくれたし。それに
きたやまおさむ、山本コウタロー、
山田パンダ…。ひとつのグループのために、これほどのビッグネームが一斉に新曲を書き下ろすアルバムは、わたしも初めて見ましたね。だから、責任も重大でした。それぞれの曲をちゃんと花開かせないと申し訳ないので。一応、先輩ですから(笑)、しくじるわけにはいきませんから。あ、そういえば…。アルバムに参加してくだった
森山良子さんは、レコードデビューは僕らより早いから。彼女は先輩ですよ(笑)。
(文中敬称略)
<五つの赤い風船の結成40周年記念アルバムはこちら>
2007/06/20